日本の憲法を問う
日本の憲法を問う
自民党の総裁選が告示され、安倍晋三首相と石破茂元幹事長が対決する形になっているが、論点の要は憲法改正問題が中心であることはだれもが承知の通りである。
元々自民党は、自主憲法制定を謳って立党した政党だから、憲法改正について意見が分かれることはない。
ただし、憲法9条の改正内容については意見が分かれているので、それがこのたびの総裁選挙の争点にもなっている、ということだ。
個人的には、一気に憲法改正を行ってしまうか、世論の動向を見ながら、受容されるに無理がないように進めていくか、というところに違いがあるだけの問題であろう、と理解しています。
参議院議員選挙を控え、安倍首相は憲法改正を表面に打ち出し、総裁選を世間に訴えているが、考えてみればそれが国民を憲法改正問題に関心を深めさせていく機会にもなっていくことになろう。
大いにマスメディアが両者の意見対立を取り上げ、話題提供としてくれればと、それだけ国民の憲法への関心も深まっていくいくであろうから、「やれやれ!」と期待していてるところだ。
そこで、本論は、憲法改正問題について話題を絞り、述べることにする。
戦後七十年を経た日本国憲法を
見直してみよう
占領政策のねらいから
昭和二十年八月十四日、日本は、ポツダム宣言を受諾し、十五日に天皇陛下の玉音放送で全国民にラジオを通じて、それが知らされました。その内容は、「全日本軍隊の無条件降伏」を求めたものでした。
連合国の対日占領政策は、実質的にアメリカの対日方針によって実施され、その方針は、国務省と陸海の両軍が共同作成し、それをトルーマン大統領が承認し、進められた。
対日占領政策の方針は、昭和二十年九月二十二日に発表された「降伏後におけるアメリカの初期の対日方針」の中に、次のように示されている。
一.占領の目的は、日本が再びアメリカの脅 威となり、また世界の平和及び安全の脅威 とならないようにすること。
二.他国家の権利を尊重し、国際連合憲章の 理想と原則に示されたアメリカの目的を支 持すべき平和的かつ責任ある政府を究極に おいて樹立すること。
以上である。日本の占領政策は、この方針に基づいて実施され、具体的なねらいが「日本の武装解除並びに非軍国主義化(非軍事化と民主主義制度の確立)」に置かれた。
日本の占領政策は、これを基点として東京裁判、日本国憲法制定等の占領政策が推し進められた。憲法問題は、この大前提から見直さなければならないまです。
マッカーサー私案による
日本国憲法の成立経緯
昭和二十一年二月三日、マッカーサーは、GHQ民政局へ日本の憲法草案を作りを命じ、十日間で、日本国憲法の草案が作成された。
その際、マッカーサーは、草案作成に当たって次の三点を提示した。
一、天皇は国家元首であり、それは世襲によ るもので、職務と権限は憲法によって規 制される。
二、国の主権的権利としての戦争を廃止し、 紛争解決および自己安全保持のための手 段としての戦争を放棄する。いかなる陸 海空軍も認めない。
三、日本の封建制度を廃止する。
これがマッカーサーノートた。
そして、GHQ民政局は、このマッカーサーノートに基づいて占領政策を検討し、二月十三日、日本に憲法草案を提示した。その時、アメリカ軍のホイットニーから、これを「受け入れなければ天皇の身を保証できない」との脅迫があったという。
日本国憲法九条の成立には、次の三つの制定過程があった。
一つは、マッカーサーノートの修正です。
民政局の一人ケーディスは、マッカーサー私案の「自己の安全保持のための手段としての戦争を放棄する」を削除しました。それが九条第一項となったわけです。
二つは、芦田修正です。
芦田修正とは、九条第二項の前提に「前項の目的を達成するため」という語句を入れることでした。
前項の目的とは、「国際紛争を解決する手段として」の戦争のことです。
つまり、「自己の安全を保持するための手段としての戦争」は否定されなかったのです。防衛のための陸海空の戦力は否定されていなかった、ということです。
三つは、極東委員会から文民条項の導入がされました。
GHQの上部団体である連合国軍で編成される極東委員会は、日本国憲法第六十六条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は文民でなれければならない」という条文を入れさせたのです。非武装であればこの条文は必要なかったのですが、第九条が自衛のための戦力を認めたものと解釈したから、極東委員会から草案作成の最後の段階で、この一文が入れられたのです。
つまり、軍部の台頭を防ぐため、文民条項による軍隊の指揮系統をここで明記したのです。
これらを盛り込んだ最終草案をマッカーサーは認めたので、九条の当初のマッカーサー私案は、自分でも行き過ぎた案であったと、後に考えたのであろうと指摘されています。
憲法の基本的スタンスを無視した
アメリカの暴挙から、今こそ自立を
憲法の前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意して」とありますが、この意識に日本国民を導くことが憲法草案の基本だったのです。
また、戦後日本の歩みの中で、「諸国民の公正と信義に信頼した国が存在した」などということはありません。
憲法は、時代と共にその時代のニーズに合わせて改正されていくべきもので、永遠不変な憲法を保持している国は、世界中のどこにも存在しません。
その国の憲法は、自国の歴史と伝統を尊重し、祖先の築き上げてきた文化に誇りを持つ国家国民として、自国の権利と義務を明記すべきものなのです。
国家は、国民の生命と財産を守り、基本的人権を保証すべき存在です。
現在の日本国憲法改正の動きでは、憲法九条の問題に視点ろろろが集中していますが、自衛のための防衛力の必要性については社民、共産の両党以外、皆一致しています。しかし、集団的自衛の問題では、それぞれの見解に違いがあり、争点の的となっていま。
また、特定の国の指導によって日本の平和と安全が左右されるようでは、真の独立国家とは言えません。そこが現在の日本の大きな課題です。
他にも、公共の秩序と個人の自由の問題、信教の自由と政教分離の問題等にも問題があります。また、教育基本法改正に伴う宗教情操教育と愛国心のあり方にも更なる議論が必要です。
ハーグ陸戦法規国際法には、「占領軍は占領地の現行法律を尊重しなければならない」と規定されていますが、日本国憲法は、この国際法が無視された形で成立させられたと言っても過言でありません。
この問題こそ憲法問題を考える根本義だと考えますが、皆さんはどうお考えでしょうか。
自国の憲法は、その国民自身の価値判断と意志で成文化されるもので、日本は、戦後七十年を経て、今がその時となったと、私は考えます。
同憂同願の士の多くを期待します。
2018年9月13日
※参考文献
・『この国をダメにした日本国憲法』(政治 史研究家・瀧澤中(あたる)著。ぶんか社) ・『日本の憲法・国民主権の論点』(講談社)・「日本」を否定した 日本国憲法の問題 (八木秀次・高崎経済大学助教授。