田澤昭吾のブログ

私の国家観・人生観をこれまでの教育現場での経験を交えて書かせていただきます。この度、ブログを甥っ子に指導を受けて、実施してみることにしました。71になろうとしている団塊世代の年寄りが、心の若返りと、憂国の思いを、人生の最後の歩みに吐露し、悔いのない日本人の生き方を全うしたい。これから皆さんと対話したいと思います。

難汝を玉にす

最近出逢った言葉の中で深く心に残った二つの言葉がある。
 一つは「窮達は命なり。吉凶は人に由る」(「文選」)。
 困窮したり、栄達に恵まれたりするのは運命であり、どうしようもないことだ。しかし、その困窮、栄達を吉にするか凶にするかはその人次第、ということである。
 もう一つは、渋沢栄一が晩年好んで揮毫したという言葉。
   天意、夕陽を重んじ
   人間、晩晴を貴ぶ
  一日懸命に働き、西の空を茜色に染めてまさに沈まんとする夕陽の美しさは格別である。この夕陽のように人間も年とともに佳境に入り、晩年になるほど晴れわたっていく人生を送るのが貴いということである。
 困窮を吉にするためにも、晩晴の人生を送るためにも、忘れてはならない大事な心得がある。それが「艱難汝を玉にす」の一語である。人生に降りかかってくる艱難こそ、自分を磨くために天から与えられた試練、と受け止めていく覚悟である。
 例えば、渡部昇一先生は大学生時代よく勉励され、試験での総合点は二番目の学生に二百点以上の差をつける好成績を修めながら、念願の留学の機会が何年も与えられなかった。若い苦学生にとっては最大の艱難である。この艱難をいかに乗り切ったか。先生の言葉がある。
「自分を高めていく過程では、常に何かの形で壁にぶつかるものである。はたから見れば取るに足らない小さいことでも、当人にとっては大きいことである。そんなとき、なげやりになったり後退したりしないで進むためには、いくつかの方法がある。
  私の場合、聖書の中の"最後まで耐え忍ぶ者は遂には救われるべし"という言葉と、昔漢文で習った"志有る者は事竟に成る"という言葉を、あたかも念仏のように唱えることで心を静めた。壁に突き当たったと感じるときときは、散歩しながらでも、寝る前でも、この言葉を繰り返し唱えた」
「艱難汝を玉にす」―艱難にあうことによって、人は立派な人物 になる。その言葉の見事な実証を先生は私たちにみせてくれている 艱難こそが人を磨くとは古来、多くの先達がさまざまに述べていることである。
「ある人問う、人艱難にあう、これ不幸なる事か。曰く艱難はまた事を経ざる人の良薬なり。心を明らかにし、性を練り、変に通じ、権に達する。まさにこの処にありて力を得」(『格言聯壁』)
 艱難にあうのは不幸なことではない。これは人生経験の少ない人の良薬である。艱難を経験することで人は心を明敏にし、性格を練り鍛え、変化に対応する知恵を身につけ、物事を計画する力を養う事が出来る。まさに艱難によって人は力を得るのだ、という。
『自選坂村真民詩集』をこの程復刊したが、真民先生にも若い頃病魔に侵され生死の境をさ迷われる中で詠まれたこういう詩がある。
「苦がその人を 鍛えあげる 磨きあげる 本ものにする」
最後にこの人も幾度の艱難を乗り越えて覚者になられた人、常岡一郎氏の言葉。
「逆境はつねにいつでも自分の敵ではない。ときには恩師となって人生に尊いものを教えてくれることがある。心の親となって自分の本質を守り育ててくれる。不幸、病気、逆境は太成する人格を育てる落ち葉である」(『常岡一郎一日一言』)

 

平成30年9月吉日