石川 洋先生が遺された、「大丈夫 天地は貫いている」に学ぶ
この度は、私が若いときから導かれ、教え、諭されてきた、京都にある共同体・一燈園というところで長らく生活しておられた石川 洋先生がお書きになった下記の一詩文から、「生きるとは何か」ということを一緒に考えて見たいと思います。
「大丈夫 天地は貫いている」
「天」という漢字は
二本の横線と
「人」によって組み合わされている
横に並んだ二本の「一」は
「天」と「地」を意味するが
平行線で交わることはない
そこに天地の深い意味が秘められている
古代の日本人は
太陽の光は天から地にあふれこぼれた
恵みの光であると受け止めていた
しかし、地からは天に交わることが出来ない
ではどのようにして
天に通じることが出来るのか
それは、人のこころがきよめられ
無我となる時
天地に誠の道が生まれるのであると
受けとめてきた
それが天地をつらぬく
人の道なのである
天という字は、二本の横線と、「人」という文字によって組み合わせられ、成り立っているという。
そう言えば、確かにそうなっていますね。
しかも、横に並んだ二つの「一」は、「天」と「地」を意味するという。「そうか」と思わず、納得させられました。
しかし、この「天」と「地」の二本の横一は、平行線で決して交わることはない、とも言っています。確かにそうですね。
そして、そこに天地の深い意味が秘められているというのです。
古代日本人は、太陽の光は天から地に差し込み、その太陽の光を恵みとして受け止めてきました。その当たり前の自然の恩恵が、いかに「ありがたいことであるか」ということを知らせるようにして、この詩は謳っています。
そして、「地」から「天」には、交わることは出来ないが、「地」からは「天」に通じる道があるというのです。
その天に通じる道は、人の心を清める道であり、無我の心へ導く道でもあるという。
その心を、日本人は古来、天地を貫く道として「誠」という道を説き続けてこられた。
現代の世相で一番欠如しているのはこの「誠」の心です。この「誠」の心こそ天に通じる道であり、万民に通じる人の道でもある、と故人は諭してこられました。
現代の世相をマスメディアを通して見、聞きしていると、私たち日本人は、今一度、日本の心・魂の遺産である「誠」の道を見直す時代を迎えているぞ、と天から教え諭しているようにも聞こえ、思えてならない。
平成30年9月23日記