田澤昭吾のブログ

私の国家観・人生観をこれまでの教育現場での経験を交えて書かせていただきます。この度、ブログを甥っ子に指導を受けて、実施してみることにしました。71になろうとしている団塊世代の年寄りが、心の若返りと、憂国の思いを、人生の最後の歩みに吐露し、悔いのない日本人の生き方を全うしたい。これから皆さんと対話したいと思います。

石川 洋先生が遺された、「大丈夫 天地は貫いている」に学ぶ

 この度は、私が若いときから導かれ、教え、諭されてきた、京都にある共同体・一燈園というところで長らく生活しておられた石川 洋先生がお書きになった下記の一詩文から、「生きるとは何か」ということを一緒に考えて見たいと思います。
                                                  
          「大丈夫 天地は貫いている」

     

     「天」という漢字は
         二本の横線と                                                 
    「人」によって組み合わされている
       横に並んだ二本の「一」は
       「天」と「地」を意味するが
       平行線で交わることはない
   そこに天地の深い意味が秘められている
 
         古代の日本人は
    太陽の光は天から地にあふれこぼれた
     恵みの光であると受け止めていた
 
     しかし、地からは天に交わることが出来ない
         ではどのようにして
      天に通じることが出来るのか
       それは、人のこころがきよめられ
               無我となる時
     天地に誠の道が生まれるのであると
               受けとめてきた
             それが天地をつらぬく
               人の道なのである

 

      天という字は、二本の横線と、「人」という文字によって組み合わせられ、成り立っているという。
 そう言えば、確かにそうなっていますね。
 しかも、横に並んだ二つの「一」は、「天」と「地」を意味するという。「そうか」と思わず、納得させられました。
 しかし、この「天」と「地」の二本の横一は、平行線で決して交わることはない、とも言っています。確かにそうですね。
  そして、そこに天地の深い意味が秘められているというのです。
  古代日本人は、太陽の光は天から地に差し込み、その太陽の光を恵みとして受け止めてきました。その当たり前の自然の恩恵が、いかに「ありがたいことであるか」ということを知らせるようにして、この詩は謳っています。
 そして、「地」から「天」には、交わることは出来ないが、「地」からは「天」に通じる道があるというのです。
 その天に通じる道は、人の心を清める道であり、無我の心へ導く道でもあるという。
 その心を、日本人は古来、天地を貫く道として「誠」という道を説き続けてこられた。

  現代の世相で一番欠如しているのはこの「誠」の心です。この「誠」の心こそ天に通じる道であり、万民に通じる人の道でもある、と故人は諭してこられました。
 現代の世相をマスメディアを通して見、聞きしていると、私たち日本人は、今一度、日本の心・魂の遺産である「誠」の道を見直す時代を迎えているぞ、と天から教え諭しているようにも聞こえ、思えてならない。
                                                                                          平成30年9月23日記