田澤昭吾のブログ

私の国家観・人生観をこれまでの教育現場での経験を交えて書かせていただきます。この度、ブログを甥っ子に指導を受けて、実施してみることにしました。71になろうとしている団塊世代の年寄りが、心の若返りと、憂国の思いを、人生の最後の歩みに吐露し、悔いのない日本人の生き方を全うしたい。これから皆さんと対話したいと思います。

谺ーはじめにー

本稿は、私が学校法人大和山学園理事長として、松風塾高校で週一度の朝会でお話させて貰った内容に加筆し、まとめたものです。期間は、平成十九年一月から九月まで行った朝会の話題です。
 タイトルは、松風塾高校卒業生に、戦後の日本に覚醒を促す日本人たれとの願いを込め、「谺(こだま)」としました。それは、父であり、師でもあった松風塾高校の創設者田澤康三郎先生の願いを継承した大和山学園二代目理事長としての責任として、また、私自身の教育者としての使命として話してきた「朝会訓話集」であることから、この声が多くの人に伝わっていきますようにと願い、付けました。
 私は平成九年一月、理事長に就任以来、二十一年間その任を果たしてきました。そして、この間に、週一度、朝会で話もさせて貰ってきました。卒業式には、その年の一月から十二月までの朝会の話を朝会訓話集として編み、卒業記念誌として配布させて貰ってきました。それが平成二十九年度で十八号となる予定でしたが、十月四日で理事長を退任したので、急遽、九月までの朝会の話を、自費出版で刊行させて貰いました。もちろん、この度刊行した責任の一切は発行者の私にあります。
 但し、九月までとはいえ、朝会での話しをまとめたものですから、当然、生徒を対象にした話し方になっています。しかし、話の内容は社会時評と青年の生き方についてが中心になっていますので、一般の方にもお読みいただき、現在の日本について考えるきっかけにして貰えればと願い、刊行させてもらいました。
  日本は今、戦後教育の見直しが迫られています。私はそう思って、昭和五十年四月に、松風塾高校に奉職させて貰いました。
 松風塾の創設者田澤康三郎先生は、東京帝国大学で恩師岸本英夫先生から、占領軍アメリカの占領政策の目的は日本弱体化にあり、その危機は「戦後三十年後にくる」、とのお話を聴かれました。そして、宗教学を学んだものはその時に備えるため、日本の伝統文化を英語で話せるように準備しておこう、と話されたことに発憤し、時至れば大和山で「青年教育」を始めようと決意し、昭和二十一年五月十五日に大和山本部の教祖さまの元へご帰本されました。そして、時至った昭和三十年五月一日、生活学苑大和山松風塾を開塾して青年教育を始められ、昭和四十九年四月には学校法人大和山学園松風塾高等学校へと昇格させ、現在に至って来ました。これが、松風塾の原点です。そして、創立者の教えの原点には常に「戦後三十年の危機」がありました。
 私は、高校三年の夏に、大和山本部で開催された青年教徒夏期修行会に参加し、当時、小松風先生であられた初代教主さまのご垂教でこれらのお話を拝聴し覚醒を促され、将来教師となり日本を建て直す青年育成に励もうと決意しました。私のそれからの歩みは、このことを目標にした人生となり、紆余曲折しながらも歩み、今日に至っています。
 この「戦後三十年の危機」に対する思いは、今も変わらないばかりでなく、益々強くなっており、その思いは憲法改正の国民運動化へとエスカレート化してもいます。
 こうした思いを、読者の皆様にお届け出来ればと願い、同書を刊行しました。
  なお、二部作として、平成二十九年一月二十二日に刊行した『改訂 憲法を問うー戦後七十年の総括のためにー』を追記しました。安倍晋三首相は、年頭の記者会見で、年内に憲法改正の国会発議をしたいという思いをにじませた、と報道され、憲法改正は国民的課題となっています。それがためにも、憲法改正問題を考える一助になってくれればとの願いで追記しました。読者諸氏のご理解を賜れば幸いです。

     平成三十年三月一月 
                                                                                             田 澤 昭 吾